古に迷う

古に迷う

浄土宗松風霊山応声教院(おうしょうきょういん)


比叡山の名僧慈覚大使により斉衝2年(855年)、文徳天皇の勅願所、天台宗天岳院として創建されました。その後、浄土宗を開宗した法然上人が歯吹如来を安置し、浄土宗応声教院と改名され、現在に至っています。
法然上人の恩師である皇円阿闍梨は、嘉応元年(1169年)衆生済度のため弥勒菩薩の出現を願って、桜ヶ池(御前崎市)の竜神になったと伝えられています。後に法然上人が恩師をしたい桜ヶ池を訪れた帰途に立ち寄り、恩師の冥福を祈り改宗したことが、皇円阿闍梨の菩提所、桜ヶ池奥の院となった由縁です。
京都知恩院末寺、近江十二支辰巳霊場としても知られ、皇円阿闍梨の御片身とされる竜のうろこ、皇円阿闍梨と法然上人の伝記が記された縁起書、阿弥陀如来像など院ゆかりの宝物が数多く収められています。

境内には鐘楼堂、藍染明王堂、水子地蔵菩提所、中国から寄贈された水子地蔵石仏、のんべえ地蔵堂などが建てられていますが、なかでも石段を上がったところにそびえ立つ朱塗りの山門が院風を高らしめています。間口7.8m、奥行き3.6mの切妻造りの八脚門で、江戸幕府二代将軍徳川秀忠により静岡市の宝台院に築造され、大正7年(1918年)に移築されたものです。桃山時代の作風を今に伝える貴重な建造物として、昭和29年に国の重要文化財に指定されています。
また、当院は太平洋から日本海を結ぶ塩の道街道沿いにあり、散策を楽しむ人々の憩いの場ともなっています。(※写真はのんべえ地蔵堂)


大頭龍神社(だいとうりゅうじんじゃ)


悪疫鎮護の祭神大物主命(おおものぬしのみこと)を祀り、延暦11ねん(792年)に創建されたと伝えられますが、天正2年(1574年)高天神城攻防のときにすべて焼き尽くされ、勧請のいきさつなどは詳らかではありません。現在の拝殿は宝暦13年(1763年)、本殿は文化11年(1814年)の建築で、文政7年(1824年)に建立された青銅の大鳥居によって広く知られています。

この鳥居は、青銅づくりとしては遠州最大で菊川市の指定文化財になっています。高さ6.0m、幅は笠木の部分で7.5mもあります。
毎年8月の第4日曜日が例大祭で、今では数少なくなった縁日の露店で賑わいます。


真言宗瀧生山永寶寺(えいほうじ)


境内にある観音堂は、十一面観世音菩薩を本尊とする近江三十三所観音霊場第二十七番札所です。
観音堂の守護役(別当)を「滝之谷法印」と称し、不動明王を持仏堂本尊とする密教寺院(山伏寺)で元和2年(1616年)に開かれ、代々修験道「観瀧院」と号しました。
境内の東には下池・中池・新池と3つの池が続き、下池の対岸まで約100mにおよぶ野猿(やえん)があります。この一人乗りの人力による乗り物は、熊野地方で実際に用いられていた険しい渓谷を渡るための道具です。


井成神社(いなりじんじゃ)


加茂白岩下の山上にある井成神社には、今川義元の元武将・三浦刑部が祀られています。農業を志した三浦刑部は加茂地区に移住しましたが、菊川や西方川の川床は低く、水田に必要な水を確保することが難しく、日照りの害に苦しんでいたため菊川の蒸留、潮海寺地区に堰を設け本所から半済をへて、加茂地区までの総延長7,650mにも及ぶ用水路の建設を計画、天正11年(1583年)に着工、文禄3年(1594年)に完成しました。

用水路は「加茂井水」とよばれ、今日にいたるまで加茂の地を潤し、豊かな実りをもたらしてくれています。
地元では三浦刑部の徳を称え、現在でも4月の第1日曜日には、感謝のお祭りを行っています。



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